2008年04月24日

茶の湯の心、「持たない」心

 本棚の整理をしたことで、読みたかったけどまだ読んでいなかった本を読むようになりました。その中の1冊に岡倉天心(覚三)の『茶の本』がありました。薄っぺらくて短い本なのでさくさく読んでしまいましたが、「そうじ」マインドともつながって面白い!
 現在の日本“伝統”文化と呼ばれているものは、禅宗の影響が色濃いことがよく分かります。
 華美を厭い、簡素を尊ぶ。余計なモノは何一つなく、季節を象徴するたった一つの自然物と、それとバランスをとったたった一つの工芸品によるハーモニーを楽しむ。基本のルールは何より“清潔”。…茶室のしつらえは禅の思想を具体化したものとも言えますが、「そうじ」も突き詰めていくとここへ至るのではないか?
 心を煩わす余計なモノを取り去った時の、しん、と鎮まった平穏な心持ち。重荷を下ろした時のような、晴れ晴れと軽い感覚。禅が、この世のあらゆるモノからの「囚われ」を解き放とうとするのと似て、「そうじ」は具体物から解放される。
 私は茶道は嗜みませんけれど、「そうじ」を通して、茶の精神(スピリッツ)は共有していたんだなぁ、というのは発見です。

 「そうじ」とは、家を「茶の心」で構成すること。そんな言い方はどうでしょう?現代茶道の何流、どんなルール、どんな教養とは全く違った観点からの、源流としての禅の精神から来る心です。
 要らないモノは持たない。ほとんどのモノは要らない。乱雑は許さない。清潔を宗(むね)とする。何よりも美しいものは「空間」である。無駄をそぎ落とすことで「満ちる」。気を感じる。イヤー、書いててゾクゾクしてきた(笑)。
 かつて、そうじの目標として禅寺をイメージしてみたことがありますが、家のありようは茶室という視点もイイですね。何もない和室、ちょっと茶室に近づいた?(^^;

 そういう視点で見直すと、「古い考えを大切にしている」と思われがちな老人たちは、「大切な日本の伝統」を随分台無しにした世代なんだなあ、と悔しく思えます。もし、日本人の美意識が「茶の湯」に完成された雛形を持っているとしたら、モノに囲まれ、モノに執着することを恥じなければならないと思うのです。
 禅の更に源流の「仏教」では厳しく非所持を打ち出すエピソードはたくさんあると思いますが、お坊さんの袈裟の原型は「雑巾をつなぎ合わせた襤褸(ぼろ)」なのだとか(@_@; 斜めがけにして変な形だなあ、とずっと不思議に思ってたのですが、ありあわせの布のつぎはぎだったとすれば納得です。それを上等なシルクにし、高価な染料で染めてしまってはホントは駄目なんでしょうね(^^;
 茶は「金持ちの道楽」「非日常の贅沢」ではない。ルールの中での応酬や、教養のやりとりでもない。「無い」ということの意味、価値、豊かさを尊び味わう生き方なのだと、私は思う。
 日本文化の中に、「無い」を味わう伝統を、もう少し甦らせてほしいなー(-人-)祈
posted by eribow at 00:38| Comment(5) | TrackBack(0) | そうじ理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
気がめいって何もできなかったけれど、eribowさんのコメント、身に染みて、befor/after写真でまたやる気が出ました。
ありがとうございます!!!

枯れた花ガラと「手」の組み合わせ、ツボでした(笑)
お天気に左右されやすい私ですが、なぜか雨ふりの今日、キッチンをピカピカにすることができました♪
これは大変珍しいことです。
汚部屋界の大物と思われる方のブログがたくさんありますが、寝室は皆、「なだれ」ですよね。
なだれの内容は、ほとんどが衣類だと思いますが、私のもっとも苦手分野でもあり、去年の夏の衣類をやっとこのあいだ、クリーニングに出したところです(恥;;)
普通、春には冬物を出すのにね・・・

ナプキンで垂れ流し@@上には上がいるものです!
安心しますね〜♪




Posted by 栗 at 2008年04月24日 10:34
>栗さん
ええと、一昨日の記事のコメント
http://soujidechange.seesaa.net/article/94313352.html#comment
の続きですよね?

>枯れた花ガラと「手」の組み合わせ、ツボでした(笑)
「やる気が出ない」日の“運気停滞しそう”な出窓ね(笑)
ぱっと見よく分からないけど、拡大すると「ゲー!」ですよね(^^;

>汚部屋界の大物と思われる方のブログがたくさんありますが、
そ、そ、そうなんだ(^^;
見たいような、見たくないような…(><;
そういう部屋も、「目覚め」れば、きっと片付くんだろうな〜(遠い目)

>去年の夏の衣類をやっとこのあいだ、クリーニングに出したところです(恥;;)
あれぇ、これもまた似た体験記事があるぞー
http://soujidechange.seesaa.net/article/84912994.html
2月20日に夏物を収納してます(-_-;
栗さんより2ヶ月リードね♪…って、冬を越してるのは同じじゃん!!!

私もね、まだこんなレベルですが、上記記事のafterは保ってるんですよ!
とっても使いやすーい(;_;)
しまえないのは何故か しまいづらいからです
モノが多すぎて、頭の交通整理ができないのかもしれません
しまう場所がシステマティックでないので、億劫になるのかもしれません
最低限の、把握できる量を、理解可能な形で収納するなら、
シーズン終わりにサクっとしまえるはずです
少しずつ、「しまいやすい」に近づけていきましょうねー(-_-)人(-_-)
Posted by eribow at 2008年04月24日 16:36
「茶の心」ですか〜。確かに茶室には無駄な物が一切ない雰囲気ですよね。
物が何でも貴重な時代には、「茶室」のような家は当たり前だったのかもしれません。
我が家を振り返れば・・・物でいっぱいだぁ・・・(;´∀`)
Posted by ひつじ at 2008年04月29日 11:33
>ひつじさん
>物が何でも貴重な時代には、「茶室」のような家は当たり前だったのかもしれません。
保存されている「旧家」などを見てもそうですよね
家具がないばかりか、衣類だって食器だって最低限しかなく、
「収納」もない…

>我が家を振り返れば・・・物でいっぱいだぁ・・・(;´∀`)
日本中、そんな家だらけですよね(^^;
体は脂肪でいっぱい、家はモノでいっぱい(残酷)
Posted by eribow at 2008年04月29日 16:15
eribow 様

家の整理整頓が上手くいかないので彷徨っていたら、こちらに漂着しました。
茶の湯の心「持たない」心、私と同じ思いの方がいた!と嬉しくなりました。
お茶の先生の家が正に「持たない」家でした。2階建ての町家で1階は仕事場、2階が住まい兼お茶の稽古場でした。八畳に箪笥1棹と炉が切ってあり、六畳にも箪笥1棹とお茶の水屋がありました。それだけの簡素な2部屋はいつ訪ねても清々しい空間でした。
清潔な部屋でなんとのう和やかに過ごし、お手前は忘れたような気がしますが、普段から器や物を大事に扱う習慣も身につきました。

お茶を習うことは、大切だと常々感じています。
Posted by 1輪 at 2016年10月19日 04:54
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