2008年05月10日

片づけられない私を作った片づけられない両親

 GWに実家に行って、一段と片づいていなかったことを再認識(^^; 死ぬほど片づけられなかった私のルーツ見たり!(><;

 リビング(狭い!)の北側の四畳半が、父の部屋です。埃をかぶった本がごちゃごちゃとそこらを占領し、衣類が散らばり…正直あんまり直視したことないです(-_-; 目を背けていたというか…。
 今回、他の部屋は壁紙リフォームするついでに片づけるらしいので、ダメもとで「この部屋も片付けるの?」と聞いてみたのですが、「いや、ここは」と首を振る。やっぱりね(^^; 何と言うか…もうどうしていいか分からないという感じです(^^;

 実家のモノの多いこと、片づいてないこと、もう慣れっこなはずですが、あらためて「こりゃヒドイ」と感じました。もう20年以上も同じ状態なはずなのですが。
 私が、変わったのだと思います。私の「目」が。今まで目に入っていなかった部分が見えた。感じていなかったことに気づいた。スキルが上がり、「要るか要らないか」「場所は適切か不適切か」を見るのがシャープになってきています。その目で見ると実家は、要らないモノだらけ、不適切な場所だらけです(~O~;
 「どーしても片づけられない」のは、こんな思考回路の中で育ったからなんだなあ、としみじみ分かりました。

 父も母も、ほんとにモノの洪水とどうつきあっていいか、全く分からず人生を送ってきたように思います。
 昔の人ですから、「散らかっている」「だらしない」ことはいやなのです。きちんと片づけている…つもりなのです。押入れは「きちんと」しまわれた何が入っているか分からない箱で一杯。机の上は、いつから何があったかわからない本や書類が「きちんと」積まれている。廊下の物入れは、使わない古い電気製品が「きちんと」しまわれており、膨大な量の箱や袋が「きちんと」溜め込まれている。
 今の私から見ると、両親に欠けているものは「判断」です。彼らは判断をしようとしないのです。いや、できないのです。

 私は子供時代〜若かった頃ずっと、自分の容姿に多大なる劣等感を抱いていたのですが、自分の容姿を「どう改善していいのか、サッパリ分からない」からだった気がしてきました。「家は自分自身」だとすると、「どうしていいか分からない」家、部屋に住んでいるということは、自分自身についても「どうしていいか分からない」ことの表裏です。ましてや、“見かけ”についてはいっそう関連は深い。
 容姿とともに、ファッションセンスがからきしダメなのも悩みでした。でも、今回実家を見て分かりました。あの環境では決して「美的センス」は育たない、と。
 母の買ってくる、安くてダサい服が嫌いでした。「自分で選ぶから買ってこなくていいよ(-_-#」と断っても断っても買ってくるのです。仕方なく、好きでもない服をいつも着ている。そのうち服を選ぶのも億劫になり、あるモノを仕方なく着ているのに慣れてしまいます。

 父は、まだ日本が貧しかった時代に、刻苦して勉強し、当時田舎では珍しかった大学進学を果たした「知性派」でした。そのこと自体は尊敬しますが、こと片づけに関しては、ほぼ白痴です。「学校の成績は、知性の一部しか測らないんだなあ」と痛感します。
 また、サラリーマン時代のラストはそれなりに“長”と名のつく役職も奉じたのですが、大きな組織ゆえの「お飾り」だったんだということも見えてきます。“長”の役割は、適切な「判断」ではないでしょうか。トップとは、リーダーとは、場を見極め、次の手を選ぶのが仕事です。あんな部屋の人間に、「判断」ができていたはずがありません。本人はやっていたつもりでしょうが、中小企業や自営業なら、潰れているのではないでしょうか。

 ま、あんまり書くと、両親を悪く言っているように思われてしまうので、この辺にしておこう(^^; まあ、ちょっと前までの「片づけられない私」は、両親のミラー(反映)ということが感じられた、ということです。

 それでも「変われる」んだから、すごいよね。親からは、いいものを受け継いで、悪いものは越えていかなくちゃね。
posted by eribow at 00:48| Comment(6) | TrackBack(0) | そうじ雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の実家も、ずっとモノが多くて雑然とした環境なので、自分がそれをイヤだと思うのがちょっと不思議だな〜と思ってました(^_^;)
それが、色んなものを見たり経験したりすると、「うちの環境はおかしいのかも?」って思うのかな(^_^;)

家の状態は大事ですよね・・・(-_-:)
思い出すと、何だか当時の家の状態と自分の境遇が一致していたように思います・・・
Posted by ひつじ at 2008年05月11日 21:30
>ひつじさん
は、イヤだという気持ちはあったのですね(^^;
私は、「なんとなく人生イヤだ」とは思ってましたが、
身の回りの汚さには気づかずにいました(^^;

>思い出すと、何だか当時の家の状態と自分の境遇が一致していたように思います・・・
そこに気づくのが「そうじ」の第一歩だと思います
第一歩未満の人が大半なんだよね…(遠い目)
Posted by eribow at 2008年05月15日 00:16
「親からはいいものを受け継いで、悪いものは超えていかなくちゃね。」

本当にそうだよね、、(しみじみ)
「こんな俺に誰がした?」と親や世間を恨み
犯罪に走る人たちに聞いてほしい
言葉だわ。

Posted by 江戸雪丸 at 2008年05月17日 09:25
>江戸雪丸さん
キメの台詞に反応して下さって、ありがとうございます〜m(__)m

親からの悪い影響に腹を立てるパターンも問題だけど、
親の影響に飲まれてしまうのも問題なんだよね(しみじみ)
私自身は、どちらかというと後者で、親に感謝してるといったら聞こえはいいけど、
実は親の呪縛の中で生きていて壁に突き当たったのだと思うの

その象徴が

片づかない家

親がダメだったからそれを当たり前だと思い、何も問題を感じずに来ました
むしろ、反発できるくらいの意気があればよかったなあと思ってます(遠い目)

10代なら、親に100%反発するのも100%影響されるのも仕方ないと思うんだよね
ハタチすぎたら…ハタチを20年も過ぎたら(^^;
いいとこはもらう、悪いとこは捨てる、にならないとねえ(自戒)

個人だけじゃなくて、社会全体がそうだと思うんだよね
過去のよきものは感謝して受け継ぐ
過去の負の遺産は乗り越える
100%受け継ぐのでもなく、100%捨て去るのでもなく、ね(-_☆
それがオトナってもんじゃあないでしょうか!(決意)
Posted by eribow at 2008年05月19日 23:35
実家は自営業だったので、倉庫があり、事業を止めた今では生活雑貨がここに山積みされています。今回実家に行くタイミングで母親が整理するのを手伝いましたが、夏の暑い中の作業はバテそうだったので、必要品(扇風機等)を倉庫から出し、季節品の入れ替え、不要品の処分をしました。母親は物との思い出話や作業が脱線しがちだったので、作業はまた後日もやる事にし、時間制限もしてサッサと作業しました。足など痛くて倉庫の中の出し入れも大変になっていく親には大きな倉庫の中身は徐々に処分していきたいですね。私の夏服なども置いているので、これも次回の課題でした。372
Posted by ひろみ at 2008年07月10日 11:21
>ひろみさん
なまじ「倉庫」や「物置」があるお宅は、際限なくモノが置けてしまって大変ですよね(^^;
ご老人方が片づけない/片付けられない理由の一つには、体力の衰えはありますよね
それで手伝うと「余計なことをして!」と憎まれたりするのですから
なかなかお手伝いすらできないのですが…

「私のモノを発掘させて♪」と頼むのが得策かもしれませんね
Posted by eribow at 2008年07月17日 05:34

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